著者 井上貫道 2018年10月発行 B5版 232頁 ISBN
三十七品菩提分法は小乗仏教の悟りにいたる修行方法とされています。大乗仏教では説かれる事は希です。道元禅師は、仏教には大乗も小乗も無い、お釈迦様の教えがあるだけだとして区別されませんでした。四念住、四正断、四神足、五根、五力、七等覚支、八正道、合せて三十七の方法について書き残されています。 道元禅師の参禅修行の根幹を残されています。
 貫道老師は、道元禅師の言葉を分かりやすく紐解かれ、思慮分別を用いず、六官の機能に学ぶ事、自己の身心に学ぶ事を説かれています。三十七も方法があるけど、どれでも良い実践して下さいと述べられています。修行の眼目が伝わる禅書です。

お勧めのポイント

ポイント①

 道元禅師の書は悟りの上から語られていて、貫道老師もまたその点からお話しされています。この悟りの上からの点については、「修行の第一歩のずれ」について述べられています。(P113からP120
 私達は既に本来本法性天然自性身の身であるから、今から修行して立派な物にするのではないという立場です。

 四念住の最初の「観身不浄」は、お釈迦様の明けの明星の一見であると道元禅師は示されます。その悟りの身で在る事にきづくこと、汚いから綺麗にするのではない。汚いと観る事で欲望を離れるのではない。明星を一見すれば、そう言うものを離れている自分で在る事がわかる。気づくためには、妨げている思慮分別を離れた修行が求められると言う処。

 貫道老師はこの立場で、道元禅師のご文章を読み説いておられる。今の自分自身の在り様を参究する。その具体的な事例を挙げて、説いて下さる。思慮分別を離れた在り様にいることの大事さが示されています。
ポイント②

 貫道老師の語句に対する造詣の深さと正確さを味わうことが出来ます。

例えば、四念住の「観心無常」で離四句という表現がある。(P28)四句をある海外の方は詩偈の意味に解しておられる。漢詩の四行。貫道老師にお聞きすると、「四句分別」の事のようだ。インドの倫理学。(有・無・または有または無・有にあらず無にあらず)これを離れるのだから、考えの世界を超えた処となり、道元禅師の表現に合致するかと思います。

有無に関して、「観法無我」で趙州の狗子無仏性についてお話しされている処も素晴らしい。(p32)貫道老師は、どのご提唱でも道元禅師の世界を正しく伝えて下さる。

 素読が良いみたいで、只官読み、そのまま分かって行く。音読も良いかも。疑問は老師に聞くなり、或いは修行をしてるなかで気が付いたりする、そう言う修行のガイド的に用いると良いかも知れないです。

 

 三十七品菩提分法提唱録.しづか出版jpg