21.1.26      一切処    はあらゆる処ですか、の問いへのお答え。

 
(義衍語録 46 「一切処に居して心を動かすようでは」

一切処とは、今です、ここです。ありとあらゆる所と言いますが、それは何処にいようがと同じです。実際にはありとあらゆる所と言えども、今です、ここです。何処にいようがと言いますが、何時でも今です、ここです。心が動くようではとは、今の活動が展開されているだけですが、此方と彼方を別々なものと見ているかたの有りようです。                                          (井上貫道老師)



一切処は、検索すると 観普賢経に「釈迦牟尼仏を
毘盧遮那遍一切処と名けたてまつる」。

毘盧遮那仏;地球上に生まれ悟りを開いた仏陀釈迦牟尼の本身に名づけたものである。これは仏身観の展開によるもので、訳して「遍照」、一切の処に光明が遍満するごとく全宇宙に遍き満つる真実の仏身。